稼業日本地図

鉱山経営

日本は世界有数の金属資源の豊かな国として、江戸時代の一時期には世界の三分の一の銀を産出し、17世紀後半には銅産出では世界一となった。
大坂屋は全国各地で鉱山経営を行い銅山各山元で荒銅に加工し海路を利用して大坂屋大坂本店に集積した。秋田藩阿仁銅山の産銅額は宝永5年(1708)の記録では360万斤(216万kg、2万1600トン)で、米石高に換算すると70万石にあたる。


運送

銅山は東北地方、とりわけ出羽国(現在の秋田県)に集中しており、阿仁の銅は米代川を下り能代港で川舟から北前船に積み替えられ、越前国敦賀(現在の福井県敦賀市)でいったん陸揚げされ、再び舟で琵琶湖を南下して大津を経て河川交通を利用して大坂中心地にある大坂屋まで運送された。荒銅は16貫(60kg)を1梱包として、舟一艘につき二千梱包を積み込んだ。秋田藩は1梱包に付き、大坂屋に対して銀五匁四分の通行税を課した。


精錬

全国各地から大坂屋本店に集積された荒銅から銅吹(銅精錬)により棹銅を生産した。銅には微量の銀が含有されており鉛を触媒としてこれを抽出する技術を南蛮吹といい、西洋から伝わった当時世界の最先端産業であった。南蛮吹を行うためには資本力と技術力を要し、また幕府に認可された御用商に限定されていた。とくに一位の住友、二位の大坂屋は南蛮吹で大きな利益を得た。


海外貿易

銀抽出後の棹銅は江戸に搬送され大坂屋江戸店で地売銅として販売、または長崎から海外に輸出した。棹銅はオランダ船、中国船によってヨーロッパ、中国、東南アジア、インド、アラビア半島などにもたらされた。江戸時代の海外貿易の殆どが銅により決済されており、これを長崎廻銅または長崎御用銅という。享保元年(1716)の秋田藩長崎廻銅は170万斤(102万kg、1万200トン)であり、日本国輸出額の37%を占めた。





改正増補国宝大坂全図

(大阪大学文学部所蔵)
大坂屋(大坂本店)は横堀川と長堀川が交差する四ツ橋の南西側に位置し、河川交通の便が良かった。敷地の北側が鰻谷筋、南は大宝寺町筋、西に横堀川に面し、川沿いは当時「大坂屋ノ浜」と呼ばれた。 大坂屋があった南船場は現在の大阪市南区西心斎橋にあたる。

大坂屋経営鉱山一覧

1673(延宝年間前後) 永松銅山(出羽国新庄藩)
阿口銅山(備中国松山藩)
1689(元禄2年) 弐つ森銅山(陸奥国仙台藩)
熊沢銅山(陸奥国仙台藩) 
畑ヶ間歩銅山(出羽国秋田藩)
阿仁三枚銅山(出羽国秋田藩)
阿仁板木沢銅山(出羽国秋田藩)
阿仁大沢銅山(出羽国秋田藩)
阿仁赤沢銅山(出羽国秋田藩)
阿仁藤琴鉛山(出羽国秋田藩)
1691(元禄4年) 栗山銅山(下野国)
1697-1703(元禄10〜16年) 栗山銅山(下野藩)
阿仁七十枚銅山(出羽国秋田藩)
阿仁天狗平銅山(出羽国秋田藩)
阿仁矢櫃野沢銅山(出羽国秋田藩)
阿仁銅山(出羽国秋田藩)
槙野沢銅山(出羽国秋田藩)
一二三の又銅山(出羽国秋田藩)
阿仁萱草銅山(出羽国秋田藩)
立木鉛山(出羽国庄内藩)
尾去沢銅山(陸奥国盛岡藩)
中瀬金山(但馬藩銅山代官支配)
阿仁板木沢銅山(出羽国秋田藩)
猪沢銅山(陸奥国)
白根銅山(陸奥国盛岡藩)
あそう銅山(出羽国)
藤琴平鉛山(出羽国秋田藩)
戸沢銅山(出羽国)
1704-1710(宝永年間) 炭谷沢銅鉛山(出羽国秋田藩)
湯谷銅山(播磨国)
田淵銅山(播磨国)
尾去沢銅山(陸奥国津軽藩)
1711-1716(正徳年間) 日三市鉛山(出羽国秋田藩)
畠銀山(出羽国秋田藩)
1716-1735(享保年間) 畠銀山(出羽国秋田藩)
亀三森鉛山(出羽国秋田藩)
金堀沢鉛山(出羽国秋田藩)
家戸野沢鉛山(出羽国秋田藩)
明主通沢鉛山(出羽国秋田藩)
志戸前銅山(陸奥国仙台藩)
立川銅山(伊予国西条藩)
金田銅山(備中国松山藩) 
福知山銅山(丹波国丹波藩)
えばら銅山(丹波国丹波藩)
中ノ川銅山(但馬国亀山藩)
阿口銅山(備中国松山藩)
大蔵村銅山(出羽国新庄藩) 
院内銀山(出羽国秋田藩)
大森銀銅山(陸奥国仙台藩)
1736-1743(元文年間) 世利古城山銅山(伊予国大洲藩)
永松銅山(出羽国新庄藩)
杉割沢鉛山等(出羽国秋田藩)
今出片子山銅山(伊予国宇和島藩)
日見市鉛山(出羽国秋田藩)
くさへ沢銅山等(出羽国秋田藩)
1741-1744(寛保年間) 秋田外日三市銅山(出羽国秋田藩)
安藤沢鉛山(出羽国秋田藩)
平登内鉛山(出羽国秋田藩)
大新沢東又銅山(出羽国秋田藩)
初石沢銅山(出羽国秋田藩)
古佐場内古鉛山(出羽国秋田藩)
志根刈沢銅山(出羽国秋田藩)
1744(延享元年) 大沢古鉛銅山(出羽国秋田藩)
1766(明和3年) 冷水沢鉛山(出羽国秋田藩)
1781-1788(天明年間) 小船木鉛山(出羽国秋田藩)
平鉛山(出羽国秋田藩)
屋那場沢鉛山(出羽国秋田藩)
寛政年間(1789〜1800) 院内銀山(出羽国秋田藩)
八盛銀山(出羽国秋田藩)
小東又沢沢鉛山(出羽国秋田藩)
出野前鉛山等(出羽国秋田藩)
1801(文化元年) 阿仁二の又大沢銅山(出羽国秋田藩)

出展:銅商人と町-大坂屋久左衛門を例に
中川すがね著(歴史評論、1995年)